にわかダウリング

炸裂する自分語り。

ぐるぐる考えてしまう頭

人間関係に何かあると、すぐずっとぐるぐる考えてしまう。
その割には、自分が失敗してはいけない場面で失敗して人間関係を余計に悪化させてしまうようなことをしてしまう。それは、元々、人間関係の構築を諦めているから。何故諦めているか、というと私と言う価値観や立場を理解してもらえるわけが無いと思っているから。副業兼趣味はイラスト、好きなものは映画、音楽、本(主にクラシック)。私の身の回りの人で興味がある人はあんまりいない。

趣味についての断絶について考えてみる。
一度100分de名著にてディスタンクシオンについて取り上げられていて、非常に興味があった。

www.nhk.or.jp
今から語ることは、特にこれ通じているかはあんまり関係無いかもしれないかも。
最近、ジャンプ作品がかなり流行している。鬼滅ブーム、呪術廻戦、チェンソーマン。私は乗り切れないままでいて、むしろ分からない立場を利用して、話を聞き出す話法で会話をして乗り越えてきた。
ただ、そこに違和感を感じた。鬼滅見ていないと言う流行りに乗らない高尚な人間、もしくはアホ。そう言ったように見られているように感じた。特に自分よりも若い子たちと会話すると感じる。私より年上の人はあまりそう言った考えではないようだけれど。

流行りに乗ることはもはや、その人が社会人として必要な素養を備えているか、と言うところまで考えがきているのかな、と思いつつある。自分がその作品に対し面白い、面白くないと個別の感想を持てているか、また見た上でコミュニケーションをとる時にどう活用できるか、そう言った場面まできている。誰も彼も、「全集中」と言う言葉を使っては、ウケを狙ったり、職場の士気をあげたりしている。
友人同士の会話ならまだしも、これを政治界隈で発言されたことをニュースで取り上げたりしている。

世の中はきっとこの「鬼滅」を見ている友人を欲しているのでは。鬼滅をみる人間なら自分と社会に対する行動、好みなどを総じての価値観が同じだろうと確信できるから。元々作品が好きだった、作者のファンだった、と言う人もいるだろう。でも大体の人は、流行に乗って、自分が孤立をしないように読んでいるのだろうと思う。
別にそれでいい。それでいいんだけど。増長はしないとは思うのだけれど。

流行に乗るものの、そこから何か知見を得ることもなく、軽薄な自分を肯定する人間にはなりたくないな、とは思う。反知性主義に反するような言葉にはなるが。
別に反知性主義反知性主義のままでいい。むしろ反知性主義は、興味が無いことを「興味が無いです」と言えない人が多いのでは。大抵何か振られると「興味がない/知らない」と言えない人が多いような。なんとなく。
今までの大人は鬼滅のようなアニメでも鼻で笑いながら「知らない」と言ってきたのだと思う。中には、わざとらしく言い放ち、マウンティングをとったりとらなかったり。でも最近は、アニメやゲーム、ネット文化に馴染んできた人々が子どもを持つようになったので、そう言った風潮は消えつつある。でも、このアニメ、ゲーム、ネット文化の価値観がまた新たな断絶を生みつつある、と感じる。長くなるから、また今度。(多分そのままぶん投げる)

私人間個体として鬼滅を見ようが、呪術を見ようが、世間には馴染めないかな。でも呪術はちょっと面白いと思いました。