にわかダウリング

炸裂する自分語り。

続きはない

こんばんは。宇多丸師匠の映画評論が好き。

評論の中で「何者」を見たいな、と思った。

私自身、就活は真面目にやれなかった。自己肯定感が低く、自分の良いところが全く分からなかった。それと希望するならば、イラストを仕事にしたい、と言う気持ちが強く、そのためにどうすればいいのか考えた時に、就活、それと正社員として働いていくことに意味が見出せなかった。でも世の中としては、正社員でないと目も当てられない、みたいな風潮があるので、渋々就活を進めた。
当時は未だにイラストの仕事をもらえるような技術は無く、同人活動でひっそりやるぐらいだったから、自分の力量はここまでなのかもしれない、と勝手に一線を引いて将来の希望も無く諦めのまま就活をした。

その後、正社員の傍、同人活動をしてイラストを目一杯量産していた。最初は何事もなかった。で、紆余曲折あり、無職になった。
退職してまだ時間が経ってない、その間に、イラスト仕事の契約はもらえた。ただ、本当にその仕事が回ってくるのか確証は無く、連絡が来るまでは死ぬほど焦った。前記事に書いたように無駄だと分かっていても、面接に臨んでみたり。

連絡が来てからは、ああ、やっぱり私にはこれしか無いのかもしれない、と少し思った。まだ、数をこなしていない状態ではあるので、判断つかないけれども。
この判断が付きにくい状態で、自分の自信と客観性を見抜くことができるような人こそ、自分の立場と折り合いを付けながら幸せに夢を達成できるのかもしれない。私も、就活をせずに非正規で多少なりとも会社が安定しているところに就職出来ていれば、私の人生はもう少し上向きだったのかもしれない。それは賭けとも言えることかもしれないけれど、本当に夢に向かって決心がついている人間だったら、こんなことは賭けでは全くなく、当たり前の道だと感じるのだろう。

社会から受ける視線と自分の判断への自信は難しい。だから現状維持をするために、何かを続け、波を見分けるスタイルしか取れないんだ。
多少は、社会に揉まれてきたので、自意識と言うのは薄れてきたと思う。なんといえばいいんだろう、この自意識と言うものを客観視している自分を客観視する、と言う意味で。なら、もう頑張ってなんとか今できそうなことをやっていくしかないな、と思った。